2015年5月31日日曜日

「淡島百景」を読んで驚いたこと

漫画の構成要素を画・セリフ・コマに分解するとすれば,志村貴子はセリフの作家だと思っていた.「青い花」に見られる美しいカラーや,読者の視線の動きを捉えたコマ割りも,もちろん見事たが,決め所にピタリと収まるセリフはすごい. 手元にないため不正確かもしれないが,「敷居の住人」では
むーちゃんの影を踏んだ 丁寧に踏みにじった
自己完結して去るな
など,ひねってはいないが独特のセリフが,登場人物の心情をよく伝えてくれる.

しかし, 「淡島百景」では画の力に圧倒された.

とくに「第3話 岡部絵美と小野田幸恵」が素晴らしい.本話の主人公であろう岡部絵美は,しばらく顔を見せない.扉絵でも後ろ姿で描かれていて容貌は不明なまま,語り部たる悦子の回想として話が進められる.

やっと岡部絵美の顔が描かれるのは,50ページあるこの話の16ページ目である.

その顔.

何とはなしに目を向けてしまう,スター性を持った人,生物としての濃度が違うような人が世の中にはいるが,描かれた岡部絵美の顔を見ただけで,これがそういう人物だとわかった.特に70ページの1コマがすごい.これはオーラある人の顔だと納得する.開始からここまで,中年男女しか(若き悦子もいるが美人ではない)描かれていなかったせいもあって,岡部絵美のスター性がさらに強調される.

さらに75ページの二人.何をされたか,したか,セリフはないが表情だけですぐにわかる.セリフがないことによって衝撃と緊張感が強調される.

最後に,93ページの小野田幸恵の表情にも触れたい.憧れている人にかばってもらって,味方してもらって喜ぶべきところなのに,自分の能力への自信のなさ,自分がたいした人間ではないことを知っているために,この場面で畏れを抱いてしまう.そういう,平凡な人間が平凡さに故に歪んでしまった瞬間が,やはりセリフやト書きのない顔のみのコマから感じとれる.

ぽこぽこの連載を楽しく読んではいたが,いつもの志村作品という以上には思っていなかった.しかし,エロエフに載ったらしいこの第3話を読んで,ひっくりかえってしまった.

志村貴子はまだまだ恐ろしい作家になるんだろうなあ.